江戸前の海
浅草海苔は、浅草でとれたのか
巻物にも軍艦にも欠かせない海苔。江戸で名を上げた「浅草海苔」は、ほんとうに浅草の海苔だったのか。
縄文の海から
東京湾のまわりに人が住みついた縄文時代の前期から、海苔はたぶん食べられていました。貝塚から出るアサリやハマグリは、いまも同じ海にいる貝です。アサクサノリやアオノリも、そのころから育っていたと考えられます。
「浅草海苔」という名前が生まれたのは、慶長年間(1596〜1614年)とされます。続いて、品川海苔の名も知られるようになりました。
浅草の名のわけ
では、なぜ浅草なのか。品川区立品川歴史館は、説を三つ挙げています。品川や大森でとれた海苔を浅草へ運んで製品にしたから。浅草川、いまの隅田川でとれたから。大森の野口六郎左衛門が、浅草紙の漉き方をまねて干し海苔を作り、それを浅草海苔と名づけたから。
生け簀の柵から始まった養殖
海苔をたくさんつくれるようになったのは、品川の漁師が養殖を編み出してから。江戸時代の延宝年間(1673〜1680年)ごろ、魚を生かしておく生け簀の木の柵に、海苔が生えているのが見つかった。そこから、ナラやカシの枝を海に立てる「粗朶ヒビ」の養殖が生まれます。嵐で壊れた生け簀の木や竹が浜に流れ着き、そこに海苔が育っていたのを見て思いついた、という話もあります。
品川で始まった養殖は、各地へ広まりました。はじめはどこも自分の土地の名前で売り出したものの、浅草海苔の名には勝てない。商売のうえで得だからと、しだいに「浅草海苔」の名で売るようになっていきました。
紙を漉くように
昭和12年(1937年)ごろまで、品川や大森の海苔は手で漉いていました。摘んだ海苔を海水で洗い、欅のまな板の上で、両手に持った包丁で細かく刻む。海苔簀に枠を置き、枡ですくった海苔を、同じ厚さになるよう手早く流し込む。藁の垣根に簀を並べて、日に干して一日。紙を漉くのと、ほとんど同じ手順です。
品川の海苔の終わり
品川の海苔は、昭和30年(1955年)には年に9,500万枚ほどもとれていました。けれど東京港を大きくつくるために、昭和37年(1962年)かぎりで漁業権をすべて手放します。品川で最後に海苔が摘まれたのは、昭和38年(1963年)2月9日でした。
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このページの出典(1件)
- 品川歴史館解説シート「品川の海苔」(品川区立品川歴史館、2016年3月)(品川区立品川歴史館)2026-09-30 閲覧