品書き / 寿司ばなし
寿司ばなし
- 落語目黒のさんま「さんまは目黒に限る」。遠乗りに出た殿様が、目黒で焼きたてのさんまを食べ、その味が忘れられなくなる古典落語です。いまも目黒駅をはさんで、この噺にちなんだ、さんまのふるまいの祭りが二つ開かれています。
- 江戸の川柳女房を質に入れても初鰹「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」。春に初めて揚がるカツオに、江戸っ子は目の玉が飛び出るような値を払いました。女房を質に入れてでも食べたい。川柳にまでからかわれた、江戸の初物熱の話です。
- 街道鯖街道若狭の小浜で一塩した鯖を背負い、峠を越えて京へ。着くころには、ちょうどいい塩加減になっている。京都の鯖寿司の塩サバが通った道、鯖街道の話です。
- 平家物語清盛と鱸熊野へ向かう清盛の船に、大きな鱸が躍り込んだ。精進の旅の途中なのに、清盛はそれを料理させて皆に食べさせ、やがて太政大臣へ。『平家物語』が平家の栄華の始まりに置いた、魚の話です。
- 随筆握り寿司の名人米はどこの産、酢は何、生姜は古いか新しいか。美食家の北大路魯山人が、戦後の東京の寿司屋を容赦なく品定めした随筆です。最後に行き着くのは、寿司屋は「自由料理屋」だ、という見立て。
- 江戸城の台所将軍の膳に出さない魚将軍の朝の焼き物は、毎日きまって鱚。その一方で、将軍に食べさせてはいけない魚も決まっていました。こはだ、鮪、いわし、赤貝。いまの寿司屋の主役ばかりです。
- ことわざ秋刀魚が出ると按摩が引っ込むさんまとあんま。語呂合わせのようでいて、江戸の秋の台所をそのまま言い当てたことわざです。ついでに、佐藤春夫が「苦いか塩つぱいか」と詠んだはらわたの話も。
- 近代握りが全国の寿司になるまで握りは、もとは江戸の郷土料理でした。それがなぜ、日本じゅうの寿司屋の顔になったのか。震災、空襲、そして戦後の米の決まり。三つの出来事が、握りを全国へ押し出しました。
- 数え方寿司はなぜ「貫」と数えるのか握りを「一貫、二貫」と数えるのは、じつはとても新しい。江戸時代の書物にも、志賀直哉の小説にも出てこない数え方が、いつ、どうして寿司の数え方になったのか。そして「貫」の字の由来には、人の数だけ説があります。
- 字寿司・鮨・鮓、三つの字すしは「寿司」とも「鮨」とも「鮓」とも書く。二つは中国から来た漢字で、もとは別の食べ物を指していました。残る「寿司」は、音を当てただけの字です。すしの名前と三つの字の話です。
- 世界寿司が海を渡るまで握りが初めて海を渡ったのは、明治のこと。生の魚なんてとんでもない、と見られていた料理が、世界の「Sushi」になるまで。
- ことば寿司ダネと寿司ネタ、何が違う?寿司の上にのるものを、「タネ」とも「ネタ」とも言う。同じものを指す二つの言葉は、どこで分かれたのか。
- 薬味わさびが握りに入るまでシャリとタネのあいだに、わさびをひとはけ。いまでは当たり前のこの仕事は、いつ始まったのか。薬草だったころから、チューブが出るまでの話です。
- 江戸前の海浅草海苔は、浅草でとれたのか巻物にも軍艦にも欠かせない海苔。江戸で名を上げた「浅草海苔」は、ほんとうに浅草の海苔だったのか。
- 店のつくり寿司屋にカウンターが多いわけ職人を前に、好きなタネをひとつずつ。寿司屋といえばカウンターですが、はじめからそうだったわけではありません。
- 浪曲寿司を食いねぇ「江戸っ子だってねぇ、寿司を食いねぇ」。森の石松の名台詞で、石松が船の上で勧めた寿司は、どんな寿司だったのか。
- 土地の寿司消えかけの巻き寿司節分の恵方巻は、いまではすっかりおなじみになりました。その陰で、土地ごとに巻かれてきた一本が、ひっそり消えかけています。
- 記念日11月1日は寿司の日11月1日は「全国すしの日」。新米と脂ののった魚の季節だから、というのが表の理由です。この日にはもうひとつ、歌舞伎の中の寿司屋にまつわる理由があります。
- 秋田雷の魚のハタハタ寿し海が荒れ、雷が鳴ると、岸に押し寄せてくる魚がいる。秋田の正月に欠かせない、ハタハタ寿しの話です。
- 山梨海なし県の寿司屋人口あたりの寿司屋の数が、全国でいちばん多い県はどこか。答えは、海のない山梨県です。
- ことば寿司の「ネタ」が、話の「ネタ」になるまで記事のネタ、手品のネタ、落語のネタ。寿司屋の符丁だったはずの「ネタ」は、いつのまに、これほど広い意味の言葉になったのか。
- ことば寿司屋の符丁、客が使ってもいい言葉ネタ、シャリ、ガリ、アガリ、オアイソ。寿司屋で耳にする言葉を、客が口にしていいものか。言い分は、言葉ごとに分かれます。
- 言葉寿司ダネと寿司ネタ、英語になったのはどっち握りの上にのるものを、英語では何と呼ぶのか。寿司ダネか、寿司ネタか。英語版Wikipediaの「Sushi」の項を開いてみると、日本語がそのまま入り込んでいます。
- 大阪回転寿司の始まり寿司を皿にのせて、コンベアで回す。思いついたのは、東大阪で立ち食いの寿司屋を営んでいた人でした。ビール工場で見たベルトコンベアから1号店まで、約10年。回転寿司の生みの親を名乗る、元禄寿司の話です。
- 歴史なれずしから握りまで寿司は、魚を長くもたせる漬物から始まりました。それがどうして、屋台でつまむ握りになったのか。千年あまりの道のりを、五つの節目でたどります。くわしい話は、それぞれの寿司ことばと寿司ばなしにあります。
- 寿司の酢赤酢江戸の握りのシャリは、ほんのり赤かった。色をつけたのは、酒粕から造る赤酢です。酒屋が酢を造るのはご法度だった時代に、尾張・半田の造り酒屋が挑んだ酢が、江戸の寿司屋で評判をとる。戦後、白いシャリに主役を譲り、また戻ってくるまでの話です。
- 寿司の醤油寿司の醤油は、どこで生まれたか握りにつける醤油も、甘い詰めも、関東のこいくち醤油があってこそ。けれど醤油の生まれは関東ではありません。紀州の湯浅から、房総の銚子と野田へ。寿司の醤油がたどってきた道と、刺身や寿司のための醤油の話です。
- 言葉「すし」という言葉の生まれ「すし」という言葉は、どこから来たのか。辞書をさかのぼると、台所のある調味料に行き着きます。同じ音の別の言葉、寿司の別の呼び名、満員電車のたとえまで。言葉としての「すし」の話です。
- 俳句寿司は夏の季語旬のタネは季節ごとに替わるのに、俳句の世界では、寿司そのものの季節が決まっています。なぜその季節なのか。蕪村や子規が詠んだ寿司の句と、季節の違う寿司の話です。
- 寿司の歴史江戸の寿司の値段屋台でつまむ江戸の握りは、ひとついくらだったのか。安い寿司の隣には、庶民が目を丸くする高い寿司屋もありました。幕末の記録をたどると、その値段は天保の改革のお触れとぶつかります。
- 寿司の歴史出前と寿司桶、折詰寿司は、店で食べるだけのものではありません。岡持ちで、折詰で、桶に並べて。握りが店の外へ出ていった道のりと、出前の桶の盛り方が戦後にがらりと変わったわけを、江戸から順にたどります。
- 寿司の道具寿司ロボット回転寿司のシャリは、だれが握っているのか。職人の手のかわりにシャリ玉をこしらえる機械は、寿司とは縁のなかった菓子の機械メーカーから生まれました。握りの手触りを、機械はどうやってまねたのか。
- 浮世絵浮世絵の中の寿司母親の皿の寿司に、坊やが手を伸ばしている。歌川国芳が天保15年に描いた一枚です。皿にのっているのは何のタネで、どう盛ってあるのか。錦絵や江戸の記録の絵から、二百年前の寿司を見ていきます。
- ことば「すし詰め」の始まり満員電車も、子どもでいっぱいの教室も、「すし詰め」と言う。寿司を詰めるように、という言葉は、いつ、何を指して使われはじめたのか。辞書の最初の用例を開くと、意外なものが出てきます。
- 道具バランは葉蘭寿司の折や持ち帰りのパックに入っている、緑の仕切り。あれを「バラン」と呼ぶのはなぜなのか。もとをたどると、庭に植わっている一株の植物に行き着きます。
- ことば寿司ダネと寿司ネタ、タネ明かしとネタばれ寿司ダネのタネは、もとは畑に蒔く種でした。それがどうして、料理の材料も、手品の仕掛けも指すようになったのか。そして、自分から見せる「タネ明かし」と、知られてしまう「ネタばれ」は、どこで向きが分かれたのか。
- ことば寿司ネタは逆さ言葉、ドヤやショバの仲間タネをひっくり返してネタ。辞書で「倒語」を引くと、宿をドヤ、場所をショバと並んで、寿司ネタのネタが顔を出します。逆さ言葉の一族の中で、ネタはどんな位置にいるのか。
- 寿司の歴史駅弁になった寿司駅のホームで売られた最初の弁当は、竹の皮に包んだ握り飯でした。そこへ相模湾の小鯵が、日本海の小鯛が、山陰のカニが、寿司になって加わっていく。駅弁の寿司が、どこで、どうして生まれたのかをたどります。
- 寿司の歴史寿司と氷・冷蔵庫冷やす道具のない江戸で、握りのタネはどう守られていたのか。函館の天然氷、機械で作る氷、魚河岸の氷冷蔵庫、そして台所の電気冷蔵庫。冷やす技術が、寿司屋の仕事とタネの顔ぶれを少しずつ変えていきます。
- ことばネタケースかタネケースか、現場の寿司ダネと寿司ネタカウンターの前に横たわる、ガラスの冷たいケース。あれは「ネタケース」なのか、「タネケース」なのか。冷蔵庫のメーカー、寿司屋の組合、国の資料、辞書。現場に近い資料を一つずつ開いて、どちらの言葉で書いてあるかを数えてみました。
- 店のつくり寿司屋の暖簾寿司屋の入口に下がる、一枚の布。もとは禅寺の風よけで、やがて店の看板になり、店の信用そのものを指す言葉にまでなりました。屋台で握りをつまんだ江戸の客は、帰りがけにこの布をどう使ったのか。
- 寿司の米シャリの米炊きたての新米は、家の食卓ならごちそうです。ところが寿司屋の言い分は、少し違う。江戸前の握りのために東京で高値がついた小粒の米、寿司のために生まれた新しい品種、そして半世紀前の大学の実験室。シャリになる米の話です。
- 寿司の道具寿司屋の包丁魚をおろす一本、タネを切りつける一本、巻物を切る一本。寿司屋のまな板には、形の違う包丁が並びます。同じ刺身包丁でも、東と西で先の形が違っていた。そして、その刃を打ってきたのは、煙草の葉を刻む包丁で名を上げた堺と、刀鍛冶のまちの関です。
- 近代外国人が見た寿司明治の日本にやってきた外国人は、寿司をどう見て、どう書き残したのか。生の魚に箸をのばした動物学者、日本の事物を項目ごとに解説した日本学者、駅のホームの物売りの声を小説に写した作家。三人の書いたものを開いてみます。
- 富山寿司といえば、富山「寿司といえば、富山」。富山県が掲げるこの看板は、ポスターの一行では終わりません。魚には困らない県が、いま本気で集めようとしているものがあります。方言の「きときと」から、子ども向けのアニメまで、県を挙げた寿司の取り組みをたどります。
- 小樽小樽の寿司屋通り運河の町、小樽には、通りの名前になるほど寿司屋が集まっています。ニシンと石炭で栄えた北の商都が、どうして寿司の町として知られるようになったのか。港の盛衰と、寿司屋の歩みを重ねてたどります。
- 静岡しずまえ江戸前があるなら、しずまえもある。静岡市は、駿河湾に面した自分たちの前浜をそう呼び、名前を商標にして、子どもたちに新聞を配っています。その前浜の魚は、寿司の椀にもなりました。用宗、清水、由比の三つの港と、日本一深い湾の話です。
- 宮城塩竈の寿司仙台と松島のあいだの港町、塩竈。神社の門前町で、魚の町で、寿司屋の多い町です。その寿司を支える生のマグロは、どんな船で、どうやって港に着くのか。秋だけの名前を持つメバチの話まで。
- ことば小説の中の寿司ダネと寿司ネタ明治から昭和の作家は、握りの上にのるものを何と書いたのか。「鮨種」か、「たね」か、「ネタ」か。青空文庫で寿司の出てくる小説や随筆を開き、一本ずつ探してみました。一つの短編の中で、呼び名が三つに分かれている作品もあります。
- ことばシャリか、酢飯か、すし飯か握りの下にある、酢を合わせたご飯。このサイトはシャリと書きますが、酢飯とも、すし飯とも、寿司飯とも呼ばれます。辞書、寿司屋の組合、酢のメーカー、炊飯器の取扱説明書、国の資料。一つずつ開いて、どの呼び名で書いてあるかを確かめてみました。
- 節分恵方巻節分に恵方を向いて、太巻きを丸かぶり。この習わしを売り出したのは、大阪の寿司屋と海苔屋でした。太巻きのページへ
- 歌舞伎助六寿司いなりと巻き寿司の詰め合わせを、なぜ「助六」と呼ぶのか。歌舞伎十八番の主人公と、その恋人の名前にまつわる話。いなり寿司のページへ
- 信仰いなりと狐稲荷の神の使いは狐。狐の好物は油揚げ。油揚げの寿司が「いなり」になるまで。いなり寿司のページへ
- 江戸ことば鉄火場の細巻き博打を打ちながらでも、指を汚さずにつまめる。鉄火巻の名前にまつわる話。鉄火巻のページへ
- 名前の由来かっぱ巻きの「かっぱ」きゅうり巻きが、なぜ「かっぱ」なのか。由来の説は、なかなかにぎやかです。かっぱ巻のページへ
- 伝説子の代コハダが育つとコノシロ。その名前には、ちょっとぞっとする伝説がついています。コハダのページへ
- 吉野歌舞伎になった寿司屋吉野の山あいの古い寿司屋は、歌舞伎の舞台になり、寿司屋を呼ぶ符丁まで生みました。なれ寿司のページへ
- 江戸の寿司屋華屋与兵衛握り寿司の生みの親として、真っ先に名前が挙がる両国の寿司屋。発明した人か、大成させた人か。華屋与兵衛のページへ
- 江戸の町寿司の屋台握りを江戸じゅうに広めたのは屋台でした。客は立ったまま、手でつまんで食べた。寿司の屋台のページへ
- 戦後委託加工戦後の食糧難で飲食店が商売を止められたとき、寿司屋だけが店を開けられた理屈。委託加工のページへ
- 職人のことばコハダに始まりコハダに終わる小さくて薄い魚を、塩と酢だけで仕上げる。職人の腕がそのまま出るタネだからこその言葉。コハダのページへ
- 大阪の押し寿司バッテラ大阪のバッテラは、もとはサバではなくコノシロでした。名前はポルトガル語の小舟から。コハダのページへ
- ロサンゼルスカリフォルニアロールの誕生リトル東京の寿司職人が困っていたのは、ある季節にマグロが手に入らないことでした。カリフォルニアロールのページへ
- 1980年代サーモンを売り込んだ国昔の日本の寿司屋に、生のサーモンはありませんでした。それを変えたのは、海の向こうからの売り込みです。サーモンのページへ
- 名前の由来「イクラ」はロシア語ロシアでは、キャビアもイクラ。その言葉がどの道を通って日本へ来たのかは、一つに絞れません。イクラのページへ
- 江戸前の玉子魚の入った玉子江戸前の玉子は、卵だけでは焼きません。半日がかりで仕上げる店もある、あの一品のわけ。玉子のページへ
- 伊豆諸島と小笠原海を渡った島寿司わさびの代わりにカラシ。八丈島の島寿司は、南の島々へ渡り、戦争のあとも絶えませんでした。東京都のページへ
- 仏教と魚盆の鯖寿司生ぐさものを嫌う仏教と、生ぐさい魚の代表のサバ。お盆に鯖寿司を食べる土地があるのは、ある言葉のせいでした。鯖寿司のページへ
- 江戸と上方背開きか、腹開きか穴子を背から開くか、腹から開くか。東と西で分かれたのには、武士の町らしいわけがありました。穴子のページへ
- 北海道鰊御殿ニシン漁が北海道にもたらした富の大きさを、いまも見せてくれる番屋。ニシンのページへ
- 江戸の魚下魚だったマグロいまは寿司の主役のマグロも、江戸では格の低い魚でした。脂の多いトロの扱いは、さらに下。トロのページへ
- 名前の由来「トロ」の名付け親マグロの脂身は、昔は別の名前で呼ばれていました。「トロ」と呼びはじめたのは誰だったのか。トロのページへ
- 江戸の食べ方ねぎま鍋マグロを生で食べるようになる前、江戸の人はマグロをどう食べていたのか。トロのページへ
- 豊洲マグロの初競り正月の豊洲市場で、1本のクロマグロに付いた値段。記録は何度も塗り替えられてきました。マグロのページへ
- 食べ方手で食べるか、箸か握りは手でつまむのが通、と聞いたことはありませんか。カウンターと座敷で、話は少し変わります。手で食べるか、箸かのページへ
- 食べ方醤油はタネにつけるか、シャリにつけるか寿司屋の組合の答えははっきりしています。そもそも醤油をつけない寿司もある、というところまで。醤油のつけ方のページへ
- 食べ方寿司を食べる順番白身から始めて、トロや穴子へ。よく聞くこの順番は、決まりなのか、目安なのか。食べる順番のページへ
- 頼み方おまかせか、お好みか何をどの順で握るかを、職人に任せる。昭和の初めごろまで、当たり前だったのはどちらの頼み方か。おまかせのページへ
- 職人のことば玉子を食べれば腕がわかる寿司屋の力量は、魚ではなく玉子に出る。昔から言われてきたこの言葉には、いまはもう一歩先があります。玉子のページへ
- 寿司屋のお茶寿司屋の大きな湯呑み寿司屋の湯呑みは、なぜあんなに大きいのか。お茶を「アガリ」と呼ぶわけと一緒に。あがりのページへ
- 寿司屋の変わり目寿司屋で飲む酒つまみで一杯やってから握りへ。この楽しみ方は、昔からあったものではありません。つまみのページへ
- 岡山ばら寿司と倹約令ぜいたくを禁じられた岡山の町の人たちは、寿司桶の中でひと工夫しました。ちらし寿司のページへ
- 銀座軍艦巻きの誕生握れないタネを、どうやって寿司にするか。常連客の頼みから生まれた形です。軍艦巻きのページへ
- 昭和ネギトロの生まれ最初の東京オリンピックの年に生まれた巻物。鉄火巻きに使う身に、あるものを足したのが始まりです。ネギトロのページへ
- 熊野めはり寿司の名前高菜の葉で包んだ大きなおにぎりが、なぜ「めはり」なのか。名前のわけは一つではありません。めはり寿司のページへ
- 紀州と吉野柿の葉寿司の始まり熊野灘のサバが、峠を越えて山の村へ。柿の葉で包むようになるまでの話。柿の葉寿司のページへ
- 富山将軍がほめた鮓富山の鮓の名を広めたのは、ひとりの藩士の料理の腕と、将軍への献上でした。ます寿司のページへ
- 川中島謙信と笹寿司川中島の合戦と、信州と越後の境の峠。上杉の軍勢と笹寿司をめぐる言い伝え。笹寿司のページへ
- 志摩かつお船の手こね寿司漁の合間に、船の上で手でこねてかき込む。その筋書きには、ちょっと突っ込みどころがあります。手こね寿司のページへ