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「すし詰め」の始まり

満員電車も、子どもでいっぱいの教室も、「すし詰め」と言う。寿司を詰めるように、という言葉は、いつ、何を指して使われはじめたのか。辞書の最初の用例を開くと、意外なものが出てきます。

寿司を箱に詰める

辞書で「鮨詰(すしづめ)」を引くと、もとの意味は文字どおり、寿司を箱などに詰めること。そこから、多くの人や物が少しのすきまもなく、ぎっしり入っていることを指すようになりました。折箱にきっちり並んだ寿司の姿が、そのまま「満員」の言い方になったわけです。

東京の電車と、元禄の評判記

ぎっしりの意味の用例として『精選版 日本国語大辞典』が最初に挙げるのは、明治43年(1910)の『欧米印象記』。「太平洋航海別信」の一節に、「東京の電車の如く、人間を鮨詰(スシヅメ)にする」とあります。辞書が拾った最初のすし詰めは、東京の電車でした。
書いたのは中村春雨。のちに中村吉蔵の名で、松井須磨子の当たり役となった「剃刀」などの社会劇を書く劇作家です。1906年に海を渡り、アメリカの大学で演劇を学んで、ヨーロッパを回って1909年に帰国しました。太平洋を渡る旅を書いたくだりに、ふるさとの電車の混みぐあいが顔を出すのが、なんとも可笑しい。
ただ、「すし」の一語だけでぎゅうぎゅうの意味に使った例は、もっと古くからあります。元禄6年(1693)の評判記『雨夜三盃機嫌』に、押し合いへし合いの窮屈さを「只是鮨(スシ)」と言った一節が見える。電車より二百年以上も前から、混みあえば寿司でした。

すし詰め学級

戦後には、国の文書にまでこの言葉が載ります。子どもの数が急に増え、学級の人数や先生の数の悪化が問題になった時代です。昭和33年に学級編制と教職員定数の標準を定める法律ができ、翌34年度から施行されました。狙いは、文部省の『学制百年史』の言葉でいえば、いわゆる「すし詰め学級」の解消。小・中学校の同学年の学級は、50人が標準になりました。
詰め具合は、そこから少しずつゆるんでいきます。昭和38年の改正で、39年度からの5か年計画のもと、同学年の学級は45人の標準に。令和3年の改正では、小学校の標準が40人(1年生は35人)から35人へ引き下げられ、2年生から1学年ずつ進めて、令和7年度に6年生まで届く計画になりました。50人の教室を寿司の箱にたとえた時代から見れば、ずいぶん隙間ができたものです。

イワシと寿司

英語で同じ混みぐあいを言うなら、packed like sardines。イワシ(サーディン)のように詰まっている、です。ケンブリッジの辞書の例文もラッシュアワーの電車でぎゅう詰めになった一文で、中国語の訳にもイワシが出てきます。向こうはイワシ、こちらは寿司。いまの国語辞典も、例に挙げるのは「鮨詰めの電車」「鮨詰め学級」です。

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