寿司のデータベース

品書き / 土地から探す / 東京都

東京都

東京の寿司は、江戸前だけではありません。八丈島には、ヅケにした魚を甘めのシャリで握り、ワサビの代わりにカラシをのせる島寿司がある。魚河岸は日本橋から築地へ、そして豊洲へと移ってきました。

島寿司はカラシで食べる

島寿司
島寿司写真: Kentagon(CC BY-SA 4.0)
東京都には、江戸前とはまるで違う寿司がもうひとつあります。八丈島の島寿司です。近海でとれた魚を醤油ベースのタレに漬けてヅケにし、やや甘めのシャリで握る。そして、ワサビの代わりにカラシをのせる。タネはメダイ、キンメダイ、ハマトビウオ、シマアジ、カンパチ、マグロ、カツオと、その時期に揚がる魚です。1人前に1つか2つ、伊豆諸島でとれる島のり(岩のり)の佃煮の握りが添えてあることもよくあります。シマアジカンパチマグロカツオ
なぜカラシなのか。伊豆諸島や小笠原諸島では、かつてワサビが自由に手に入らなかったからです。醤油にも島の工夫がある。島トウガラシの熟していない実「青とう」を漬け込んで辛くした「島とう醤油」で食べることもあります。伊豆諸島の北のほうでは、刺身もこの島とう醤油。
ヅケにするのは、もとは船で沖に出るとき魚の鮮度を保つための工夫だった、という話が伝わっています。やや甘めのシャリも、日持ちをよくするため。とはいえいまは、おいしいからヅケにする。そういう食べ方として島に根づいています。寿司が江戸から伝わったのは明治以降のことで、そこから島ごとに独自の形に育ちました。マグロ
八丈島では昔から、2月3日の節分に、島の言葉で「春トビ」と呼ぶハマトビウオで島寿司を握って食べてきました。春トビの初水揚げは、島に春を知らせる合図。小笠原諸島で春を告げる魚は、サワラの仲間のカマスサワラで、こちらも島寿司のタネです。冠婚葬祭の膳にも、島寿司がのります。
島寿司は海を渡りました。南は小笠原諸島へ。明治時代に八丈島からの開拓団が入った沖縄の大東諸島には、「大東寿司」として伝わっています。伊豆大島では、醤油に漬けたタネがつやつやの飴色になるので、「鼈甲(べっこう)鮨」とも呼ぶ。
小笠原諸島は、日本人と、欧米から来て日本に帰化した人たちが一緒に暮らしてきた島です。島寿司は、ここでも島の伝統として好まれてきました。戦争中、島の人は全員が強制的に疎開させられ、戦争が終わってもしばらくは、欧米系の人とその家族しか島に戻れなかった。それでも島寿司は作られつづけます。江戸前のヅケの技を守ったのは、欧米系の島の人たちでした。
島で手に入らなかったワサビが、同じ東京の山あいでは名産でした。多摩川の清流と涼しい気候に恵まれた奥多摩では、文化文政のころにはワサビ栽培が盛ん。文政6年(1823年)の『武蔵名勝図会』には、この地の名産で、たくさん作って江戸の神田へ出す、と書かれています。タネとシャリの間にワサビを塗る江戸前の握りが考え出されたのと、ちょうど同じころ。幕府にも献上され、明治の後期には日本有数の産地になりました。

魚河岸は日本橋から築地、豊洲へ

日本橋魚市繁栄図(歌川国安)
日本橋魚市繁栄図(歌川国安)写真: Utagawa Kuniyasu (歌川 国安)(Public domain)
魚河岸の始まりは、江戸時代の初め、1603年ごろ。徳川家康は江戸城の台所をまかなうため、大阪の佃村から漁師を呼び寄せ、江戸湾で漁をする特権を与えました。漁師たちは魚を幕府に納め、残りを日本橋で売った。これが魚河岸の始まり、と伝わります。日本橋のたもとには、いまも魚市場発祥の記念碑が建っています。
佃村の漁師たちが移り住んだのが、隅田川の河口の佃島。いまの中央区佃のあたりです。この島の名から生まれた東京の名産が佃煮。塩ゆでや塩漬けで魚を保存するのが当たり前だったところへ、紀州から伝わったたまり醤油などで濃く煮付け、日持ちをよくしました。白魚の佃煮は春のもの。白魚
江戸の魚河岸の取引は、いまでは考えられない順番でした。問屋は荷主から魚を買い取ると、値段を決めずに仲買人へ渡す。仲買人は小売商に売らせ、市が終わると問屋に集まって、その日の売れ行きを持ち寄る。値段はそこで、話し合いで決まりました。売ったあとで、卸値が決まったのです。
日本橋の魚河岸は、大正12年(1923年)9月の関東大震災ですべてを焼かれ、長い歴史を閉じました。震災の直後は芝浦の仮設市場へ。同じ年の12月には、海軍省から借りた築地の土地に移ります。これが築地市場の始まりです。昭和10年(1935年)2月、広さ約23万平方メートルの中央卸売市場が築地に開設されました。荷は旧汐留駅からの引き込み線を貨物列車で、隅田川の桟橋からは船で運び込む。長い貨物列車を受け止めるために、建物は扇形に建てられました。
豊洲市場の水産卸売場に並ぶ冷凍マグロ
豊洲市場の水産卸売場に並ぶ冷凍マグロ写真: 江戸村のとくぞう(CC BY-SA 4.0)
築地は日本最大の市場に育ちました。平成29年(2017年)には、1日平均2,455トンの魚や野菜が入り、およそ20億円が取引されています。建物の老朽化などから移転が決まり、築地市場は平成30年(2018年)10月6日に閉場。10月11日に豊洲市場が開場しました。マグロ
豊洲市場には午前5時から一般の人も入れて、水産や青果のセリを見学できます。マグロのせりを見学者デッキから見るには事前の申し込みが要り、抽選です。マグロ

東京都での呼び名

呼び名一般には出典での土地の書き方
メジ(メジマグロ)クロマグロ(本マグロ)小型千葉・東京・神奈川、山形県鶴岡市、富山県高岡市
バチメバチ(メバチマグロ)宮城県仙台、千葉県銚子、東京、神奈川県三崎、愛知県豊橋、高知
ダルマ/ダルマシビメバチ(メバチマグロ)全長1m以下の若魚東京、埼玉、千葉、群馬、静岡、三重、和歌山県太地
トンボビンナガ(ビンチョウマグロ)神奈川県、東京都、三重県、和歌山県、高知県室戸
ワカシ→ワカナ→ワカナゴ→イナダブリ出世魚。ワカナゴ10〜15cm、イナダ30〜40cm東京
マサヒラマサ市場などでも東京
アオブリヒラマサ東京都新島・神津島・三宅島・八丈島
ソゲ→オオソゲ→ヒラメヒラメ1kg以下をソゲ、2kgくらいまでを大ソゲ、それ以上をヒラメ関東(千葉県、東京都、神奈川県)
シオッコ(汐っ子)/ショッコカンパチ若魚。出世魚としての呼び名千葉県外房、東京、相模湾
ショゴ(汐子)カンパチ若魚東京都神津島・三宅島・八丈島
ホンカンパチカンパチ東京都伊豆諸島・小笠原
ジミホシガレイ(星鰈)『河岸の魚』(1979)東京都(旧築地市場)
キンメキンメダイ千葉県銚子、東京、神奈川県三崎
アカムツノドグロ標準和名千葉県金谷、東京都、神奈川県、富山県魚津、三重県志摩市、鹿児島県種子島
ホンサワラ(本さわら)サワラ他のサワラ類と分けて東京都北区、島根県東部
オオカミシマアジ超大型魚の呼び名東京都(東京市場・伊豆大島・八丈島)
シマイサギシマアジ幼魚。金色の縦縞が目立つため東京都、神奈川県三崎、新潟県寺泊
ヌクモメシマアジ小型魚東京都小笠原
バケシマシマアジ大型魚東京都八丈島
コッパ→セイゴ→フッコ→スズキ→オオタロウスズキ『さかな異名抄』。オオタロウは1mにもなる老大魚東京近郊
マメアジ(豆鯵)アジ東京都、神奈川県など日本各地
カスゴ(春日子)春子(かすご)小型の赤いタイ科東京(魚河岸)
オオッパナチダイ(花鯛)大型の雄東京
シラギスキス東京、大阪、有明海
マギスキス東京
ジャココハダ東京では4cmくらい、高知では6cmくらいのもの東京、高知県浦戸
ヒラサバ(平さば)/ホンサバ(本サバ)マサバ(真鯖)ゴマサバと区別して東京の市場など日本各地
ヨシナガサヨリ(吉永さより)サヨリしゃれ東京都内などの市場
シラス(白魚)生しらすカタクチイワシの稚魚東京都、神奈川県、富山県、和歌山県
タチノウオ太刀魚東京、福岡県大川市、有明海
シンイカ(新いか)スミイカ(コウイカ)初夏から秋にとれる当歳の小イカ。東京都・千葉県・神奈川県・兵庫県明石など
バライカスルメイカ春から初夏の小振りのもの。新潟県佐渡・東京都内の市場
マルイカ(丸烏賊)ケンサキイカ相模湾・東京湾の沿岸
ボタンエビぼたんえび(トヤマエビ/ボタンエビ)トヤマエビの一般的な呼び名。北海道・新潟県糸魚川市・東京都など関東周辺
ケミガワ(検見川)赤貝千葉県検見川がアカガイの集積地だったことから。東京都
アオヤギ(青柳)青柳東京都(築地などの市場)
オハマハマグリ東京の婦人言葉東京
バチハマ(場違ハマグリ)チョウセンハマグリ内湾ではない外洋のもの東京の市場
トリッケトリガイ東京都葛西
アオツブ(青ツブ)青つぶ(ヒメエゾボラ)東京都・青森県・北海道など
ハカリメ(秤目)穴子体側に並ぶ白い点が秤の目盛りのように見えることから。東京都・神奈川県三崎・江ノ島
ホンアナゴ(本アナゴ)穴子東京都・関東・愛媛県宇和島
鉄砲巻きかんぴょう巻東京(江戸前)
きゅうり巻きかっぱ巻東京・大阪(元祖の店の呼び名)

東京都の食べ方・名産

東京都の寿司ばなし

このページの出典(92件)