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寿司が海を渡るまで

握りが初めて海を渡ったのは、明治のこと。生の魚なんてとんでもない、と見られていた料理が、世界の「Sushi」になるまで。

移民と寿司屋

握りを海の向こうへ運んだのは、明治の移民でした。アメリカの南カリフォルニアに渡った日本人は、明治33年(1900)にはわずか200人ほど。それが10年後に5000人、さらに10年後には1万5000人を超えます。みな1か所にまとまって暮らし、大正年間には日本人街「リトルトウキョウ」ができるほどでした。
日本人が集まれば、日本食の店ができ、寿司屋もできる。すし研究者の日比野光敏が聞いたところでは、カリフォルニアでいちばん早い寿司屋は明治39年(1906)の開店。出していたのは、もちろん握りです。その後、寿司屋はどんどん数を増やしていきました。
ただし、客は日本人だけ。外国の人にとって、魚は火を通して食べるものです。生で食べられるような売られ方もしていない。握りは、日本人が工夫を重ねて食べ続けた、日本人相手の料理でした。

南の島のRoll Sushi

グアムやサイパンのスーパーには、いまも「Roll Sushi」(巻き寿司)や「Brown Sushi」(稲荷寿司)が当たり前に並んでいます。日本領だったころの名残りか、といえば、そうとも言い切れない。広く食べられるようになったのは、米を大量に持ち込んだアメリカの統治下に入ってからのようです。

ごちそうのSushi

風向きが変わったのは戦後、1970年代のアメリカです。生の魚を食べるなど野蛮だ、と見られていたころに、医者や学者たちが「魚を生で食べる文化もある」と言い出し、刺身や寿司の味を広めていく。1980年代には、油を使わない体にいい食べものとして、肥満に悩むアメリカで一気に受け入れられました。
とはいえ、まだ特別な日のごちそう。日本人(か、日本人に見える人)が握り、日本家屋ふうの店で食べる高級料理。それがSushiでした。食べるのは接待やお祝いの席くらいで、ふだんの食事ではありません。

回転寿司で世界へ

これを一変させたのが、回転寿司です。1990年代の末、ロンドンにヨーロッパで初めての回転寿司チェーンが生まれる。皿がコンベアに乗って回ってくる珍しさもさることながら、のっているのはあのSushiで、しかも値段はそれまでよりずっと安い。回転寿司はたちまち西ヨーロッパに広がり、やがてアメリカや東南アジアへ渡っていきました。
平成25年(2013)、「和食:日本人の伝統的な食文化」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。その和食の看板を背負って世界を回っているのが、江戸の町で生まれた握り寿司です。

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