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握り寿司

にぎりずし

シャリの上にタネをのせて握る、日本を代表する寿司。始まりは魚を飯で発酵させる保存食で、酢を使う早ずしを経て、江戸後期の屋台で今の形になりました。当時の握りは、今の2〜3倍の大きさです。

寿司の始まりは保存食です。平安時代には、塩をした魚を炊いた飯に漬け、飯が発酵して酸っぱくなったものを「熟れ寿し(なれずし)」として食べていました。このなれずしが江戸時代にいろいろに姿を変え、早ずし、押しずし、そして握り寿司が生まれます。

寿司の原型と言われるのが、近江(滋賀県)の鮒寿司。千年以上の歴史をもつ馴れずしで、今日の各地の寿司はここから枝分かれしていった、という見方があります。高島の「総本家 喜多品老舗」は、ワタを抜いた鮒を長く塩漬けにし、飯と本漬けにして馴れを待つ、古い製法を今に残しています。

酢を使う寿司が生まれたのは江戸時代中期、1700年代前半のこと。飯に酢と塩で味をつけた「早ずし」です。箱ずし、巻きずし、棒ずしもこの時代に作られ始め、握りが生まれる前の江戸で人気だったのは箱ずしでした。

江戸時代の寿司には、二つの系統がありました。天皇や将軍、大名が食べるのは、江戸初期から変わらない、酢を使わない発酵ずし。庶民が食べるのは、酢を使った早ずし。巻きずしも稲荷ずしも、ちらしずしも握り寿司も、偉くない人たちの工夫から生まれたものです。明治になって献上先がなくなると、守られてきた発酵ずしのほとんどは消えていきました。

握り寿司を誰が考えたかには、話がいくつもあります。いちばんよく知られているのは、文政年間(1813〜1831年)に両国の「与兵衛ずし」の初代、華屋与兵衛が考えたという話。与兵衛は福井藩の出で、江戸へ奉公に出て商売を何度か変え、本所で毎夜寿司を売り歩いて資金を貯めた。そして回向院前の尾上町に小さな店を構えます。一方で、考案者はわからず、与兵衛は握りを大成させた人だと見る向きもあります。

幕末の江戸で評判だったのが「江戸三鮨」。松崎喜右衛門の「毛抜すし」、華屋与兵衛の「与兵衛寿司」、堺屋松五郎の「松が鮨」です。元禄15年(1702)創業の「笹巻けぬきすし総本店」は、握った寿司をクマザサの葉で巻いたものを、今も出しています。

握りは、屋台の食べものでした。江戸後期の江戸は百万の人が暮らす大都会で、ひとり者の男が多く、寿司や蕎麦、天ぷらの屋台がにぎわった。店を構えてもカウンターで握りながら出す今の寿司屋の形は、この屋台の名残りです。

昔の握りは、とにかく大きい。今の2〜3倍はあって、タネよりシャリで小腹を満たす食べものでした。ひと口半かふた口でやっと食べきれる大きさだから、1貫ずつ出すのが普通。2貫ずつ出すのが当たり前になったのは、シャリの量が減って寿司が小ぶりになった戦後からです。

明治から大正の寿司屋は、「内店」と「屋台店」に分かれていました。内店は小上がりの座敷こそあれ、商売の中心は出前。屋台店に椅子はなく、客は立ったまま食べる。やがて内店が屋台の形を取り入れ、はじめは立ち食い、のちに椅子が置かれて、今の寿司屋の形ができあがっていきました。

家で握るなら、まずヅケを。みりん小さじ2を小鍋で煮切り、濃い口醤油大さじ2を加えて冷まし、薄く切ったマグロの赤身を10分ほど浸けて水気をとる。指の第2関節あたりにタネと、ひと口分に軽く丸めたシャリを順にのせ、横に回しながら軽く押さえて形を整えます。

このことばが出てくるタネ

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