寿司のデータベース

品書き / 郷土寿司

さんまずし

さんまずし/Sanmazushi (pressed Pacific saury sushi of Kumano)

脂の抜けた熊野灘のサンマを酢で締め、シャリにのせて押す、和歌山県南部と三重県の東紀州の寿司。秋祭りや正月、祝いの席に欠かせないごちそうで、頭をつけたままの姿で作ることもあります。

さんま寿司(和歌山県南紀地方の郷土料理)
さんま寿司(和歌山県南紀地方の郷土料理)写真: NY066(CC BY-SA 3.0)

熊野灘のサンマ

和歌山サンマは10月下旬から3月、熊野灘へと南下してきます。長い時間潮にもまれて身が締まり、脂もほどよく抜けるので、寿司にはうってつけ。和歌山県南部では、秋祭りや正月、船の進水祝いなどに「さんまずし」を作ってきました。
和歌山もとは、ご飯や魚を長くもたせる保存食として作られてきた寿司です。人が集まるときにふるまうごちそうで、とくに米の作れない山あいの村では、大事な栄養源でした。土地によっては、サンマを「さえら」「さいら」と呼びます。

背開きか、腹開きか

和歌山和歌山県では、潮岬を境にさばき方が変わります。西牟婁郡は腹開き、東牟婁郡は背開き。硬く握ったさんまずしは鉄砲の筒のよう。だから「さえらの鉄砲」とも呼びます。
三重三重県の側でも、熊野市のあたりは背開き、尾鷲市のあたりは腹開きと分かれます。熊野市にはかつて代官所がありました。武士の世界では腹開きが切腹を思わせて嫌われたので、背開きにした、という話が伝わっています。

さんま寿し発祥の地

三重熊野市有馬町の産田神社には、「奉飯(ほうはん)」という行事があります。中骨をつけたままのさんまずしを子どもに食べさせ、健やかに育つよう願う。ふつうは中骨を抜きますが、奉飯のものは骨つき。「気骨のある子に」という願いが込められています。鳥居の前には、「さんま寿し発祥の地」と書いた丸太の案内が立っています。
三重祝いの席や祭りで食べる寿司を地元の名物に、と、昭和50年(1975年)に尾鷲市の飲食店が売り出しました。いまでは東紀州を代表する名物料理です。この地域はハレの日によく姿寿司を作り、サンマのない季節にはイワシやアジ、カマスでも作ります。

醤油をつけずにそのまま

和歌山和歌山のさんまずしを家で作るなら、頭を付けたまま腹開きにしたサンマにべた塩をして、20分ほど置きます。塩を洗ったら、酢3・砂糖1の締め酢に20分ほど漬ける(好みで柚子をしぼる)。骨を抜いて薄皮をはがし、棒状にしたシャリにのせて、巻き簾で形を整えます。
和歌山小骨までていねいに抜いてあるので、醤油などはつけずにそのまま食べます。柚子やだいだいのしぼり酢を隠し味にすると、さっぱりする。大みそかに作って年が明けてから焼く「焼きさんまずし」もあり、家や店によっては、数か月かけて発酵させ、なれ寿司にすることもあります。
和歌山新宮市生まれの作家・佐藤春夫は、さんまずしが好物でした。「ふるさとで一番美味しいものは、一にめはり、二にサンマ」。詩「秋刀魚の歌」の作者でもあります。

すしなと木枠

三重三重県では、酢漬けにした寿司用のサンマ「すしな」がスーパーで売られ、家でも手軽に作れるようになりました。子どもたちに作り方を伝えるための簡単な木枠も作られ、地元のボランティアが食育に取り組んでいます。和歌山県の南部にも、昔ながらの作り方を守る老舗がいくつも残っています。

『江戸前の旬』では

読者の感想によれば、50巻で全国に数あるさんまの寿司が取り上げられ、66巻で再びさんまの寿司が出てきます。

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