寿司のデータベース

品書き / いなり・ちらし

ちらし寿司散らし寿司

ちらしずし/Chirashi sushi (Chirashizushi)

同じ「ちらし」でも、東京と西とでは別の料理です。江戸前のちらしは、白いシャリに握りのタネを並べたもの。関西から西では、煮た具をシャリに混ぜ込んで錦糸卵で飾った、いわゆる五目で、「ばらずし」とも呼ぶ。岡山には、倹約令の目をくぐるために具を飯の下に隠した、という話まで残っています。

魚介を並べたちらし
魚介を並べたちらし写真: gundam2345(CC BY 3.0)

東京のちらしは、並べる

「ちらし」を頼んで何が出てくるかは、住んでいる土地で決まります。江戸前の寿司屋なら、白いシャリの上に、握りに使うタネを並べたもの。関東から外へ出ると、味をつけた具をシャリに混ぜ込み、錦糸卵や海苔で飾ったものがちらし寿司。関西ではこれを「ばらずし」と呼び、刺身は入っていなくてかまいません。
呼び分けは、じつはかなりいい加減です。シャリに何も混ぜないのが「ちらし」、混ぜるのが「五目」という説明もあるけれど、土地や世代で違っていて、決まった定義はない。江戸前のほうは「生ちらし」「吹き寄せちらし」とも呼ばれ、五目がちらしの地域では、江戸前のほうを「生ちらし」と呼んで区別します。五目の側も「五目寿司」「ばら寿司」「五目ちらし」と呼び名が多く、単に「お寿司」と言えばこれを指す土地もある。
歴史が古いのは五目のほう。起こりは鎌倉時代までさかのぼる、という話が残っています。江戸前のちらしは、江戸時代の後期に寿司職人の賄い飯として生まれ、握りから枝分かれした料理として明治以降に広まりました。

醤油はかけずに、小皿で

江戸前ちらしにのるのは、マグロ、白身、光り物、アカガイ、イカ、エビ、タコ、イクラ、ウニ、アナゴ。そこへ卵焼き、干瓢、シイタケ、おぼろ、ガリと、握りの材料がひととおりそろい、ワサビを添えるのが普通です。寿司屋のタネ箱が、ひと皿に収まっている。
江戸前ちらしには、醤油を上からまわしかけない。小皿に取って、タネごとにつけて食べるのが作法です。酢で締めたもの、煮しめたもの、ひとつひとつに江戸前の仕事がしてあって、合う味付けがタネによって違うからです。
江戸前ちらしの土地では、細かく切ったタネや生の魚をシャリの上に散らすように盛ったものを「ばらちらし」と呼ぶことがあります。名前は似ていても、西の「ばらずし」とは別の料理。シャリに生の魚をのせたものを海鮮丼と呼ぶ店もあって、ちらしと海鮮丼の境目もあいまいです。
銀座のづけあなちらし
銀座のづけあなちらし写真: Sugoiyomasaru3(CC BY-SA 4.0)
東京銀座の寿司店が考えた新顔が「づけあなちらし」。シャリにイカ、タコ、エビ、玉子焼き、イクラを細かく切って混ぜ込み、上にマグロのヅケと煮穴子、そしてウズラの生卵をのせる。江戸前と五目のいいとこ取りです。

一汁一菜令と、底に隠した具

岡山岡山のばらずしには、痛快な言い伝えがあります。江戸時代、岡山藩主の池田光政がぜいたくを戒めて「庶民は一汁一菜にせよ」と命じた。そこで庶民は考えた。魚や野菜を寿司の具にしてしまえば、飯のおかずには数えられない。半切り桶のシャリに、味をつけた魚介や野菜を十種あまりも入れて混ぜ込みました。具を桶の底に敷いてシャリで覆い、粗末な飯に見せかけておいて、食べる直前に桶をひっくり返して食卓を飾った、という話も残っています。
ただ、光政が生きたのは江戸時代の初め。そのころの寿司といえば、ご飯と魚を発酵させたものでした。酢を合わせたシャリはまだ無く、この話は史実としては疑わしい、というのがすし研究者の見立てです。
岡山駅の駅弁「桃太郎の祭りずし」(2004年)
岡山駅の駅弁「桃太郎の祭りずし」(2004年)写真: MK Products(CC BY-SA 3.0)
岡山「岡山ばらずし」「備前ばら寿司」「まつりずし」とも呼ばれ、西日本のばらずしのなかでも具が大きく、品数が多い。サワラ、アナゴ、モガイ、エビ、タコ、タケノコ、ゴボウ。春はサワラやフキ、秋はマツタケと、季節で具が入れ替わります。サワラは軽く塩をしてから合わせ酢に入れ、まわりが白くなったら引き上げる。岡山駅の駅弁「桃太郎の祭りずし」は、このばらずしを詰めたもので、50年以上売れ続けています。
岡山6月27日は「ちらし寿司の日」。食品会社のあじかんが2004年に定めた記念日で、池田光政にゆかりのある日を選んでいます。Wikipediaによれば、光政の命日です。倹約令を出した殿様が、ちらしの記念日の主役になってしまった。
岡山生の魚を使わない五目は、温めてもおいしい。岡山ではまつりずしを蒸して温めた「ぬくずし」があり、「ぬくい」は岡山の言葉で温かいという意味です。大阪でも、たくさん作って余ったばらずしを翌日に蒸して「蒸しずし(温ずし)」にする。冬場にはよく、蒸し寿司として出てきます。

サバのおぼろ、金時豆、たっぷりの砂糖

大阪大阪のばらずしは、穴子やしいたけなどの具を刻んで、シャリに混ぜ込んだ五目寿司。材料は、ちりめんじゃこ、れんこん、にんじん、高野豆腐、干ししいたけ、ごぼう、きぬさや、卵。刺身は入らなくていい。手軽に作れて食卓が華やぐので、お祝いやお祭りの日の定番です。
丹後ばらずし(サバのおぼろを使った二段のもの)
丹後ばらずし(サバのおぼろを使った二段のもの)写真: 漱石の猫(CC BY-SA 4.0)
京都京都府北部、丹後のばらずしの主役はサバです。甘辛く炒り煮にしてほぐした、サバのおぼろ。これを「まつぶた」という浅い木箱に敷いたシャリに散らし、干ししいたけ、錦糸卵、かまぼこ、紅しょうがを彩りよくのせる。切り口を考えて、シャリのあいだに具をはさんで二段にする家もあります。昔はサバを長い時間煮ておぼろにしていましたが、いまは缶詰で作ることが多く、地元のスーパーには、よそでは見ない特大のサバ缶が並んでいます。
京都なぜサバなのか。若狭湾に面した丹後はサバがよくとれる土地で、冷蔵の技術がなかった時代、傷みの早いサバを長く食べるために焼いたり塩をしたりしてきました。若狭から京の都へ魚を運んだ通称「鯖街道」の周りに、焼きサバを使った料理が多いのもそのためです。名前の由来は、具とおぼろをシャリの上に「バラバラ」と散らすから。平たいざるの「バラテツキ」でシャリを混ぜたから、とする見方もあります。
丹後のばらずしには、押して作るものもあります。まつぶたに詰めたシャリをしっかり押し、食べるときにへらで起こして皿に盛る。江戸後期の料理書『名飯部類』に「起こしずし」「すくいずし」として載る作り方です。宴席で酔った客がへらで起こすと、押したご飯もばらばらに崩れる。それなら最初から押さなければいい、というわけで、押さないばらずしになった、という話が伝わっています。
香川香川のばらずしは、季節の野菜を混ぜたシャリに、客用にはサワラ、サバ、コノシロの酢じめ、アナゴの照り焼き、錦糸卵、紅しょうが、木の芽をあしらう。中讃の宇多津町のものは甘い。江戸時代は高松藩の港で砂糖が手に入りやすく、昭和40年代までは全国有数の塩の産地で、体を使う塩づくりの人たちが甘いものを好んだ。この二つが甘いばらずしを生んだ、という見立てです。
徳島徳島のばらずしには、醤油や砂糖で甘めに煮た金時豆が入ります。

家のちらし

五目の具の土台は、干し椎茸と干瓢の煮しめ。そこへゆでたニンジン、酢蓮根、筍、竹輪やかまぼこ、甘く煮た油揚げや高野豆腐と、土地と家ごとの具が加わります。混ぜ込んだら、ゆでたタコやエビ、焼き穴子をのせ、でんぶ、絹さや、錦糸玉子、刻み海苔、ガリや紅生姜で飾る。木の芽や菜の花、ふきのとうで季節を出すこともできます。
東京いまは節分といえば恵方巻ですが、1960年代前半の民俗調査などで節分に寿司を食べる記録として出てくるのは、東京では五目ちらしでした。
ひな祭りの定番といえば、ちらし寿司。春らしい色と、エビのような縁起のいい具が似合います。農林水産省が紹介している作り方は、牛乳パックを型にしたひし形のちらし。パックを7cmの筒に切ってひし形に整え、シャリを3等分して、さくらでんぶ、青のり、白ごまをそれぞれ混ぜる。青のり、白ごま、さくらでんぶの順に、スプーンの背で押しながら高さ1.5cmほど詰めて、そっとパックを抜けば三色のひし形。錦糸卵やサーモン、いくら、椎茸の甘辛煮を好きにのせます。
家庭でいちばん手軽なのは、市販のちらし寿司の素。椎茸、干瓢、油揚げ、にんじんを調味液に漬けた瓶詰めやレトルトで、1970年代の後半から売られています。永谷園の「すし太郎」は1977年の発売。炊いた白飯に混ぜるだけで五目のシャリができ、キヌサヤや錦糸玉子、刻み海苔を飾ればちらしに。五目いなりの具にも使えます。

『江戸前の旬』では

20巻では、茶会に招かれた旬の姉・真子が、ある茶碗に合う御飯物を持ってくるよう課題を出され、旬にその椀でちらしを作らせます。41巻で旬が挑むのは、京都のちらし寿司、京ちらし。125巻には、思い出の味として初夏のちらしずしが出てきます。

読者の感想を拾うと、28巻に金沢の百万石ちらし、62巻には若き日の鱒之介が考えた、お節の具を使ったちらし寿司。72巻には大名散らしも出てきます。

86巻には「ちらし寿司」と題した話、83巻には「鹿野課長の寿司講座」のちらし寿司編があります。

次に読みたくなる

このページの出典(21件)