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寿司の酢

赤酢

江戸の握りのシャリは、ほんのり赤かった。色をつけたのは、酒粕から造る赤酢です。酒屋が酢を造るのはご法度だった時代に、尾張・半田の造り酒屋が挑んだ酢が、江戸の寿司屋で評判をとる。戦後、白いシャリに主役を譲り、また戻ってくるまでの話です。

二つの赤酢

辞書で「赤酢」を引くと、意味が二つ出てきます。ひとつは、よく熟成させた酒粕から造る色の濃い酢で、主に寿司に使うもの。もうひとつは梅酢の一種で、梅の実を赤紫蘇と塩に漬けたときに上がってくる赤い汁です。寿司屋の赤酢は前者、酒粕の酢、つまり粕酢のこと。ミツカンも、シャリが赤みがかった色になる酒粕原料の粕酢を、赤酢と呼んでいます。

酒屋が造った酢

赤酢を生んだのは、尾張・半田の造り酒屋、初代の中野又左衛門。いまのミツカンの創業者です。酒屋が酢を造るのは、当時はタブーでした。酒桶に酢酸菌が入れば、酒がまるごと酢になってしまう。それでも挑んだのには、わけがあります。半田は酒造りの盛んな町で、造るたびに出る酒粕に、うまい使い道がなかったのです。その酒粕をじっくり熟成させて、酢にしました。
狙いは江戸でした。江戸の町では早寿司が人気で、使われていたのは米酢。米と米麹から造る米酢は高く、着物の色止めのような工業の用途にも回るので、品薄ぎみでした。米酢を粕酢に替えれば、寿司はもっとおいしく、手軽になる。粕酢は半田の港から弁才船で江戸へ運ばれ、評判の握りの店が使うようになります。

山吹に限る

1845年ごろには、最高級の粕酢「山吹」が生まれます。シャリにすると輝くような山吹色になるから、山吹。なかでも品質が上のものには「三ツ判」の名が付きました。華屋与兵衛の四代目の弟、小泉清三郎は、寿司の作り方を書いた『家庭 鮓のつけかた』で、尾州半田の山吹に限る、とまで書いています。
北大路魯山人も「握り寿司の名人」で、上等の寿司に要る酢として、愛知の赤酢か米酢を挙げました。

赤いシャリの味

長く熟成させた酒粕から造るほど、酸味はまろやかになり、香りと甘み、うま味が乗って、色が赤くなる。米酢のすっきりした酸っぱさに比べて、赤酢は酸味がおだやかで、コクが深い。酢そのものにうま味があるので、合わせ酢の砂糖や塩は控えめでいい。寿司の酢は、東京なら赤酢とも呼ばれる粕酢、関西なら精製した米酢が多い。

白いシャリへ、また赤いシャリへ

第二次世界大戦のあと、シャリの酢は赤酢から米酢へ移っていきました。ミツカンの説明では、GHQの統治下で、シャリに色が付く赤酢が嫌われ、色の付かない米酢が広まった。和樂webの記事は、ほかに戦後の白いものへの憧れ、米酢のほうが使い道が広いこと、日本酒の生産が減って酒粕も減ったことを挙げています。いまではミツカンでも、米酢を赤酢より多く造っています。
それでも赤いシャリは消えていません。日本橋の「吉野鮨本店」は明治12年(1879)の創業。粕酢と塩だけで合わせる、創業以来変わらない握りを、いまも出しています。しかも赤いシャリは、また増えてきました。2025年の日本経済新聞の記事で、寿司店の動きを見てきたミツカンの担当者は、兆しは2000年前後、塩や酢で締める江戸前の仕事を見直す動きがひとつの要因だ、と話しています。

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