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随筆

握り寿司の名人

米はどこの産、酢は何、生姜は古いか新しいか。美食家の北大路魯山人が、戦後の東京の寿司屋を容赦なく品定めした随筆です。最後に行き着くのは、寿司屋は「自由料理屋」だ、という見立て。

北大路魯山人(1954年)
北大路魯山人(1954年)写真: 文藝春秋(Public domain)

まぐろが無ければ寿司にならない

雑誌『独歩』に1952年から53年にかけて載った随筆です。書き出しは、戦後の東京の寿司屋の繁盛ぶり。ひと頃の十倍はあるだろう、と。ところが、食える寿司となるとなかなか少ない。
寿司のうまいまずいを決めるのは、なんといっても魚介。とりわけまぐろで、「第一に素晴らしいまぐろが加わらなければ寿司を構成しない」とまで書いています。一流のまぐろは最高の神戸肉や最上のうなぎを何倍も上回る値だが、食べればそれだけの価値がある。夏のあいだは「健康への投資」と称して一流のまぐろで暮らし、大船から毎日のように新橋へ通いました。
上等の寿司に要る材料は、五つ。米は新潟・福島・秋田あたりの小粒。酢は愛知の赤酢か米酢。魚介は、だいたいいちばん高い相場のもの。海苔は、薄手の草で厚く作ったもの。生姜は古しょうがの良品で、新しょうがは不可。
シャリの味付けは、塩と酢だけが本格。上方のように昆布や砂糖を加えては江戸前にならない。握りは小さいほうが上等で、「大きく握るものにろくなすしはない」。
魯山人は京都の生まれ。京阪のうまいものは知り尽くしているのに、江戸前の気力あるうまさには「さすがのお国びいきもかぶとを脱がざるを得ない」。

二人の職人

新橋あたりで合格とした店は、二、三軒。そのうち二人の職人を並べて比べます。一人きりで店を回す新富支店の「みっちゃん」は、魚の目利きとまぐろで一枚上。けれど手が回らず、飯がいつも不完全で、何度注意したか分からない。西銀座の久兵衛は、米の炊き方と海苔選びで勝る。惜しいのは、まぐろを薄く切ること。客に「もう少し厚く切ってくれ」と頼まれて「寿司ですからね」と言い切った場面を、魯山人は隣の席で見ていました。

寿司屋は「自由料理屋」

酒の飲める寿司ができたのは戦後。戦前は茶で寿司を食べていた。変えたのは椅子です。立ち食いの店に椅子が置かれ、椅子があれば酒が欲しくなる。料理屋が高くついた終戦直後、寿司で酒を飲んでついでに飯も食う、という手を酒飲みが見つけた。
高級料理屋では、好きなものばかり食べるわけにいかない。寿司屋なら、まぐろを、赤貝を、好きなだけ。ここに魯山人は「食べ物の自由」を見て、こう締めくくります。寿司屋と呼ぶより「自由料理屋」と呼んだほうがふさわしい。まったく新しい日本料理が生まれたのだ、と。

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