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品書き / 寿司ばなし / 外国人が見た寿司

近代

外国人が見た寿司

明治の日本にやってきた外国人は、寿司をどう見て、どう書き残したのか。生の魚に箸をのばした動物学者、日本の事物を項目ごとに解説した日本学者、駅のホームの物売りの声を小説に写した作家。三人の書いたものを開いてみます。

江ノ島の膳

明治10年(1877)6月、腕足類を調べに、アメリカの動物学者エドワード・シルヴェスター・モースが来日します。大森貝塚を見つけた人です。その夏の7月17日、植物学の矢田部教授と江ノ島へ臨海実験所の土地を探しに行き、日本の食べ物で暮らすと決めて昼を抜いてきたモースは、腹ぺこで茶屋の膳につきました。この日のことは、毎日つけていた日記をもとにした『日本その日その日』に残っています。箸の持ち方を図入りで書きとめ、油で揚げた魚と飯は「全く美味」。小さな黒い梅は「言語道断」でした。
膳には、生の魚もありました。大皿に、鉛筆ほどの太さのガラス棒を絹糸でかがった敷物が敷いてあり、その上に、生きのいい魚を薄く切った冷たい身。生の魚は「我々の趣味には殊に向かない」と書きながら、自分たちも生の牡蠣は食べるのだ、と言い添え、外国人もすぐ慣れる、と続けます。大豆などを醗酵させたソース、つまり醤油は、まるでこの料理のために造られたようだ。たっぷりつけて食べて、最初の経験は「かなり良好」。連れの矢田部教授は、皿に残ったものを一気に平らげてしまいました。

『日本事物誌』のsushi

寿司の名前をはっきり書き残した一人が、イギリスの日本学者バジル・ホール・チェンバレンです。明治6年(1873)に来日し、帝国大学で教え、1890年に、日本の事物を項目ごとに解説した『Things Japanese』(日本事物誌)を出しました。その「Food」の項を開くと、宴席の献立がずらりと並びます。刺身は「minced raw fish」、刻んだ生の魚。漬物の大根は、ヨーロッパのチーズが日本人の鼻を恐れさせるのと同じくらい、外国人の鼻を恐れさせる、とまで。
寿司が出てくるのは、客のもてなしのくだりです。日本では、客が何時に訪ねてきても食べ物を出す習わしがある。そういうときに喜ばれるのが、醤油とみりんで食べる蕎麦か、餅に赤い豆と砂糖のたれをかけた汁粉か、寿司。説明は、酢をふった魚か海苔を貼りつけた「rice-cakes」。ライスケーキ扱いです。もっとも、西洋化した上流の家では、こうしたもてなしはだいぶすたれていました。

駅の物売りの声

そのチェンバレンの紹介で、島根の松江中学校の英語教師になったのが、明治23年(1890)に来日したラフカディオ・ハーン、のちの小泉八雲です。松江のあとは熊本、神戸、東京と移り住み、日本を英語で書いて世界に伝えました。
ハーンの短編『赤い婚礼』には、小さな駅の朝が出てきます。京都からの一番列車が着くと、下駄の音と話し声にまじって、物売りの少年たちが呼びかける。菓子はいかが、弁当いかが、そして「寿司はよろしいか」。五分もすると列車は北へ走り去り、駅はまた静かになる。小説の一場面ですが、ホームの呼び声の中に、寿司がちゃんと入っています。

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