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寿司の道具

寿司屋の包丁

魚をおろす一本、タネを切りつける一本、巻物を切る一本。寿司屋のまな板には、形の違う包丁が並びます。同じ刺身包丁でも、東と西で先の形が違っていた。そして、その刃を打ってきたのは、煙草の葉を刻む包丁で名を上げた堺と、刀鍛冶のまちの関です。

料理人の名前から

包丁は、もとは刃物ではなく人の名前でした。中国の古典『荘子』に、文恵君のために牛をさばいてみせる料理の名人、庖丁が出てきます。日本ではこれが料理人を指し、料理の腕前を指すようになり、料理人の使う「庖丁刀」を略して、ようやく刃物の名に落ち着いた。江戸初期の地誌『雍州府志』の説明では、庖丁は台所で魚肉を截る刀のことで、大小は問わない。野菜には、菜刀という別の刃物を使いました。

仕込みの順に三本

寿司の仕込みでは、包丁が順番に出番を迎えます。最初は出刃包丁。頭を落とし、骨を切り、身をおろす。刃元が太く、ずしりと重い一本です。おろした身は柳刃包丁に持ち替えて、刺身用、握り用と、大きさと厚みを変えて切りつける。野菜は薄刃包丁の受け持ちで、大根の桂剥きからツマを作ります。三本とも、片側だけに刃のついた片刃。出刃の歴史は古く、1638年の『毛吹草』は、和泉の出刃包丁を名産に数えています。

柳刃と蛸引

刺身包丁には、二つの形があります。先のとがった柳刃と、先を四角く切り落とした蛸引。蛸引は峰と刃が平行で、根元から先まで幅が変わらない、細長い長方形です。かつては関東で蛸引が多く使われ、関西では柳刃でした。名前に蛸とあっても、蛸専用の包丁ではありません。柳刃より全体に薄く、刺身を引くのはお手のもの。大量の仕事をさばくなら、こちらが速い。
いまでは、刺身包丁といえば柳刃です。築地の刃物屋の見立てでは、料理人の9割以上が柳刃を使っている。名前のとおり、柳の葉のように細く、先がとがった形。堺では「正夫」「正武」と書いて「しょうぶ」とも呼びます。細長く先のとがった姿が、菖蒲の葉に似ているから、という見方が通っています。

寿司を切る一本

寿司そのものを切るための包丁もあります。すし切り包丁です。刃がかまぼこのような弧を描いていて、シャリや具をつぶさずに切れる。押し寿司、バッテラのような大阪寿司や、巻き寿司に使う一本です。刺身包丁が片刃なのに対して、こちらは両側に刃をつけた両刃。堺の鍛冶屋の中でも、両刃を打つ「もろ刃屋」の仕事です。

煙草の包丁から、堺打刃物へ

堺の包丁の出発点は、煙草でした。天文12年(1543)、ポルトガル人が鉄砲と一緒にたばこを伝える。天正年間(1573年〜)には、たばこの葉を刻む「たばこ包丁」が堺で作られるようになり、徳川幕府は「堺極」の極印を打たせて専売を許しました。その切れ味が、やがて調理用の片刃包丁へと枝分かれしていきます。昭和57年(1982)3月5日、「堺打刃物」は国の伝統的工芸品に指定されました。
堺の包丁は、一人では仕上がりません。真っ赤に熱した軟らかい鉄と鋼を叩いて合わせる鍛造、いくつもの砥石で刃をつける刃付け、柄を差してつり合いを整える柄付け。工程ごとに職人が分かれています。鍛冶屋もまた、出刃などの厚物を打つ出刃屋、両刃のもろ刃屋、柳刃や薄刃を打つ薄刃屋に大別される。東京の老舗、正本の初代は、文久2年(1862)に大阪へ修業に出て、明治7年(1874)、関東で初めて本焼の料理包丁を作って売り出しました。

刀のまち、関

もうひとつの刃物の産地が、岐阜の関です。こちらの始まりは刀でした。伝えでは寛喜元年(1229)、伯耆国から刀匠の元重がやってきて、刀を打ち始めた。炉にくべる松炭、刃を焼く土、長良川と津保川の水と舟の便。刀鍛冶に要るものがそろっていました。室町時代には刀匠が300人を超え、関の刀は「折れず、曲がらず、よく切れる」と全国に知られます。その刀鍛冶の技に機械の技術を合わせて、いまは包丁やハサミを作る。ドイツのゾーリンゲン、イギリスのシェフィールドと並んで、世界三大刃物産地のひとつに数えられています。

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