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寿司の米

シャリの米

炊きたての新米は、家の食卓ならごちそうです。ところが寿司屋の言い分は、少し違う。江戸前の握りのために東京で高値がついた小粒の米、寿司のために生まれた新しい品種、そして半世紀前の大学の実験室。シャリになる米の話です。

新米より古米

11月1日の「全国すしの日」は、新米がとれ、魚に脂がのる季節だから、というのが決めた理由のひとつでした。ところが寿司屋の板場では、新米がいちばんとは限りません。東京・門前仲町で60年握ってきた寿司屋の店主は、2022年の連載で言い切っています。家の食卓なら新米が一番、シャリにするなら古米。少し割れの入った古米のほうが、酢に馴染んで旨い。修業時代、米屋が米を届けに来ると、米櫃に手を突っ込むのが若い衆の仕事でした。温かければ新米、サラサラしていれば古米。手で確かめたのです。
同じ連載は、いまの悩みも明かします。冷蔵の技術が進んで米を低温で保管できるようになり、割れの入った古米にならない。注文のたびに精米し、電熱器で乾かして古米風にして届ける米屋まである。新米を使うと粒に粘り気が出すぎて、シャリがおにぎりのようになる。保温ジャーに入れておくと水っぽくなるので、余分な水分がほどよく抜ける木のお櫃がいい。古米がほしい寿司屋には、技術の進歩がかえって仇になった、というわけです。

江戸前の寿司米「関取」

かつて東京で、江戸前の握りの米として高値がついた品種があります。その名も「関取」。嘉永元年(1848)、いまの三重県菰野町の篤農家、佐々木惣吉が「千本」という品種の中に見つけた優れた穂から育った稲で、品質がよく、よくとれ、風が吹いても倒れにくい。最初の名は、当時の大関「雲龍」でした。相撲好きだった惣吉が倒れにくさに掛けたもので、雲龍関の成績がふるわなくなると「関取」に改められた、という話が残っています。晩生で晩秋まで青々としているので、「霜不知」の異名もありました。
関取が広まったのは明治20〜30年代。押寿司が主流の関西では、寿司米には大粒の品種が好まれていました。関取は小粒で、炊いたご飯の粘りが少ない。そこが握りに合って、東京の米市場では江戸前寿司用として高値で取引されます。風向きが変わったのは大正10年ごろ。東北の「亀の尾」が関東に入ってくると、好みは小粒から中粒へ移り、関東の作付けの主力も、さらによくとれる「愛国」に替わっていく。寿司米としての評判が高かった関東でさえ、関取の田は昭和15年ごろには2万ヘクタールほどに減りました。

寿司のための品種

寿司の米に求められるのは、酢の入りがよく、ほぐれやすいこと。ところが日本に普及している稲の品種の大半は、コシヒカリのように粘りが強く、柔らかい米です。寿司米に向くと評価されてきたのは、ササニシキやハツシモ。そこで農研機構は、粘りの強い一般の良食味品種とは逆の、なめらかでやや硬く、ほぐれやすく、あっさりした米を目指して育種を進めました。
2011年に発表されたのが「笑みの絆」です。寿司米として定評のあるハツシモから育成された系統を親に持ち、シャリにすると、外観となめらかさはササニシキに勝り、粘りは弱く、やや硬く、ほぐれやすい。寿司米としての総合評価は、ササニシキとハツシモの両方を上回りました。山口県と東京都の寿司店でも高い評価を受けています。酢の入りがよく、シャリ切りしやすく、ふっくら仕上がる。名前は、食べた人の顔に笑みがこぼれ、作る人との絆が築かれるように、という願いから。

実験室のすし飯

シャリは、大学の実験室でも調べられてきました。1969年の『家政学雑誌』に載った、お茶の水女子大学附属高校の山脇芙美子と、同大学の松元文子による「すし飯に関する研究」。福島県産のフジミノリを炊き、作りたてのシャリと、翌日まで置いたシャリを比べています。論文に記された東京の寿司屋の握りは、1個のシャリが大きいもので20g前後、小さいもので15g前後。重さと体積の比は1対1.2で、熟練者はこの割合がほぼ一定、未熟な者ほどばらつく。握りの最上は「つまんでくずれず、口に入れるとたちまちほぐれる」こと。半世紀あとの寿司屋の連載にも、指でつまんで崩れず、口の中でパラッとほぐれるのが旨い寿司、と同じ物差しが出てきます。
翌日まで置いたシャリがまずくなるのはなぜか。研究の答えは、水分と合わせ酢の酸が減ること、そしてデンプンが老化すること。防ぐ手は、密閉です。ふたをせずに置いたものより水分も酸も多く残り、デンプンの老化も遅い。作りたてと比べると舌で分かる差は残るものの、それは調味料がしみ込んだぶんの差で、味が落ちたとは限らない。論文はそう結んでいます。

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