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品書き / 巻物

太巻き太巻

ふとまき/Thick roll (Futomaki / Ehomaki)

板海苔を1枚まるごと使い、何種類ものタネを巻き込んだ太い海苔巻き。節分に恵方を向いて黙ってかぶりつく恵方巻は、大阪の寿司屋と海苔屋の売り込みに始まり、広島のコンビニから全国へ広がりました。「恵方巻」という名前そのものは、じつはかなり新しい。千葉には、切り口に花や鳥の絵が現れる太巻き祭りずしがあります。

節分に食べる太巻き
節分に食べる太巻き写真: Mc681(CC BY-SA 4.0)

恵方を向いて、黙ってかぶりつく

節分の炒り豆と鬼の面、恵方巻
節分の炒り豆と鬼の面、恵方巻写真: sakura_chihaya+(CC BY-SA 2.0)
節分の夜、その年の恵方を向いて、願いを念じながら太巻きを丸かぶり。縁を切らないように包丁は入れず、福が逃げないように、ひと言もしゃべらずに1本食べきる。これがいまの恵方巻の作法です。目を閉じて食べる人もいれば、笑いながら食べる人もいて、ここは家ごとにかなり違う。太巻きのかわりに中細巻きや手巻き寿司で済ませる人もいます。
もともと、節分に食べる巻き寿司の具に決まりはありませんでした。近ごろ主流なのは、七福神にあやかって7種類の具を巻く太巻きです。昔は七草を巻き込んだ、という説もあります。逃げた鬼が忘れていった金棒に見立て、鬼退治として食べるという解釈もある。決まった7種はありませんが、よく使われるのは高野豆腐、かんぴょう、キュウリ、伊達巻や厚焼き卵、ウナギかアナゴ、桜でんぶかおぼろ、シイタケの煮たもの。大正から昭和のはじめには、漬物もよく挙がっていました。
「恵方巻」という呼び名は新しい。いつからかは、出どころで言い分が違います。ミツカンのすしラボは、1989年に広島のコンビニが「恵方巻き」と称して売り出した、としている。Wikipediaがまとめた調べでは、1998年ごろより前に「恵方巻」と呼んでいた文献や新聞・雑誌の記事は見つかっておらず、「恵方巻き」の表記がいちばん古く確認できるのは1993年の書籍です。大阪の寿司の組合は「巻きずし丸かぶり」と呼び、恵方巻き、幸運巻きとも、としています。ほかに「幸運巻寿司」「恵方寿司」「招福巻」とも呼ばれます。

寿司屋と海苔屋が仕掛けた節分

大阪たどれる記録でいちばん古いのは、大阪・上本町の寿司店の店主による「大正のはじめにはあった」という証言。残っている宣伝のチラシでいちばん古いとされるのは、昭和7年(1932)に大阪鮓商組合が出したもので、その年は幸運に恵まれる、とご利益が書かれています。大阪歴史博物館には昭和15年(1940)のチラシがあります。大阪鮓商組合後援会が刷り、いまの中央区の寿司店・美登利が客に配ったもので、巻き寿司は1本20銭。昭和の初めには、寿司の業界がこの風習を宣伝していたことがわかります。
大阪丸かぶりがどこで始まったかは、はっきりしません。大阪歴史博物館は、船場で商売繁盛を願ったとも、花街の風習だったともいわれるが、定説はない、としています。言い分はいくつもあって、大阪府鮓商組合は、江戸の末か明治の初めに大阪・船場から広がった、としている。大阪市此花区は、いまの伝法にあった申村で、節分の夜に集まった若者や船頭衆が、切り分けるのが間に合わず「切らずにそのままおくれ」と丸かぶりしたのが始まり、という伝説を発信しています。ただし此花区自身も、この伝説には「恵方」は出てこない、と添えています。
大阪戦後の昭和24年(1949)、大阪鮓商組合は戦前の「節分の丸かぶり寿司」の広告を復活させます。狙いは、土用の丑の日に鰻を食べる習慣への対抗。鰻屋に丑の日があるなら、寿司屋には節分を、というわけです。
大阪宣伝が本格化したのは、昭和35年(1960)より後のことです。寿司屋の組合に加えて、大阪海苔問屋協同組合や関西厚焼工業組合と、材料の業界までそろって旗を振りました。1960年代後半には、海苔問屋と寿司の組合が飛行機をチャーターして広告ビラをまいた。ただし費用がかさみすぎて一度きり。1973年からは海苔問屋のポスターが寿司屋の店先に貼られ、太巻きは「幸運巻ずし」として売り出されます。1974年には節分の「巻き寿司早食い競争」が始まり、1977年の道頓堀での大会がマスコミに取り上げられました。昭和の終わりごろには、大阪のあたりにすっかり根づきます。
昭和の初めにチラシが刷られても、一般にはさほど広まらず、戦後もしばらくはそのままでした。大阪の外では、なおさら知られていない習わしです。1960年代前半の民俗調査や、大正末から昭和初期に台所を預かっていた人たちへの聞き取りをまとめた記録を見ても、節分に巻き寿司を食べるという記載は見つからない。節分に寿司を食べる記録があったのは、東京の五目ちらし、静岡の五目寿司や握り寿司、徳島や愛媛の寿司でした。

広島のコンビニから全国へ

広島全国に広げたのはコンビニです。1989年、大手コンビニが広島県の店で節分の巻き寿司を売り出しました。広島市のセブン-イレブンで加盟店を担当していた社員が、オーナーとの会話で節分の丸かぶりを知ったのがきっかけとされます。売り場は西日本へ、さらに全国へと広がり、1990年代に入ってコンビニやスーパーが売るようになったことで、節分に恵方巻を食べる習わしが全国に広まりました。
2007年に全国で売れた恵方巻は約3000万本。2008年は2月2日と3日の2日間だけで、セブン-イレブン1社が388万本、コンビニ大手3社で約700万本を売りました。
いまや節分の主役は豆より太巻きです。2011年に三大都市圏で節分に何をしたかを聞いた調査では、「恵方巻きを食べた」が48%で、「豆まきをした」の44%を上回りました。2025年のアンケートでは「恵方巻を食べる」が75.7%、「豆まきをする」は38.8%です。
2000年代に入ると、サーモン、イクラ、イカ、エビ、マグロを巻いた「海鮮恵方巻」が店頭に並ぶようになります。具の数も7種にこだわらず、2種や5種と少ないものから、11種、12種、15種と多いものまで出てきました。
パック入りの恵方巻と方位磁針(2024年)
パック入りの恵方巻と方位磁針(2024年)写真: Mr.ちゅらさん(CC BY-SA 4.0)
売れ残りの山は国も動かしました。節分のあとに恵方巻が大量に捨てられることが話題になり、農林水産省は平成31年(2019)1月11日、小売業の団体を通じて「需要に見合った販売」を呼びかけます。以来、毎年の恵方巻シーズンの前に同じ呼びかけを続けていて、2026年の節分に向けては、ロス削減に取り組む事業者の募集に71事業者が手を挙げました。

大判の海苔で巻く

もともと太巻きは上方の巻き寿司でした。巻き寿司が生まれた江戸時代中期、上方では太巻きが主流。一方の江戸では細巻きが好まれ、海苔巻きといえば干瓢の細巻きのことでした。
細巻きより太く巻いたものが太巻き。板海苔を1枚かそれ以上使い、何種類ものタネを入れて、太さは直径5cm以上になります。食べるときは2〜3cmほどの厚さに輪切りに。定番のタネは玉子焼き、高野豆腐、かんぴょう、椎茸、きくらげ、でんぶ、おぼろ、焼き穴子、キュウリ、三つ葉。土地により、店により、家によって中身はいくらでも変わります。
職人の太巻きは、海苔から違います。特別に厚く漉いた浅草海苔の大判、横21.2cm、縦22.7cmほど。巻き終わりのところを少し残して、シャリを厚さ9mmくらいに均一につける。かんぴょう、しいたけ、エビのおぼろを芯にして竹簾で太く巻き、好みの厚さに切ります。
さらに手がこむのが海苔の二重巻き。まず大判の海苔に飯を固めに6mmほどつけ、しいたけを芯に、少し離してかんぴょうを並べ、竹簾を使わずに巻く。別の大判の海苔に飯を薄く広げ、かんぴょうとエビのおぼろを霞のようにふたすじ置いて、そこへ先ほどの下巻きをのせ、今度は竹簾で包むように巻きます。切り口に、巻きがふたつ重なって見える太巻きです。

千葉・富津の鉄砲巻き

千葉千葉の富津には、醤油をまぶしたカツオ節を芯にした太巻き「鉄砲巻き」があります。シャリではなく普通のご飯で巻くので、おかかのおにぎりを細長くしたようなもの。海苔の養殖が盛んな富津で、漁師の弁当として食べられてきました。節分には市の職員が集まって、この鉄砲巻きを恵方巻に見立て、恵方を向いてかぶりつき、海苔の豊漁を祈ります。

丸かぶりの前に

丸かぶりには、ひとつ気をつけたいことがあります。2024年1月23日の記者会見で、消費者及び食品安全担当大臣は、恵方巻の予約購入と食べきりを呼びかけたうえで、窒息事故を防ぐため、とくに高齢者や小さな子どもは小さく切り分けて、よくかんで食べるよう求めました。節分の豆は、5歳以下の子どもには食べさせないよう呼びかけています。
回転寿司の品書きにも太巻きはあります。はま寿司の「特製キンパ風ツナキムチ太巻」は税込110円(2026年9月29日確認)。

値段

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回転寿司

  • はま寿司「特製キンパ風ツナキムチ太巻」(税込)110円2026-09-29 時点

大衆店

  • 富山 蛇の目寿司「太巻」巻寿し1本(税込。その日の仕入れや季節で変わる)1,100円2026-09-30 時点

『江戸前の旬』では

第30話の題が「太巻き」。75巻では、客の願いに応える寿司の一つとして、飾り太巻き寿司が出てきます。

読者の感想によれば、19巻にはイイダコを使った手間のかかる太巻き、23巻にはジャンボ太巻き、77巻には南関揚げで巻いた稲荷太巻きが出てきます。

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