寿司のデータベース

品書き / 白身

鮎鮎・香魚・年魚

あゆ/Ayu (Sweetfish)

寿司の歴史をたどると、かなり古いところに鮎がいます。平安時代の『今昔物語』には、太った中納言が大きな「すしあゆ」を水飯のおかずに五つ六つ平らげる話が出てくる。米と漬けて発酵させるなれ寿司から、江戸前の姿づけまで。川の魚なのに、寿司との縁がとびきり深い魚です。

アユ
アユ写真: Apple2000(CC BY 3.0)
鮎の姿寿司(京都府綾部市、由良川の鮎)
鮎の姿寿司(京都府綾部市、由良川の鮎)写真: エコ殿様(CC BY-SA 4.0)

旬

旬は夏。秋口の子持ちには、また別のうまさがあります。

旬 出回る時期

種類

天然鮎

高値で、一般にはほとんど出回りません。6〜7月がとくに高く、8月に下がっても非常に高価。いまは海産の稚鮎や琵琶湖の稚鮎を放流して、川の鮎を確保する時代です。

湖産鮎(琵琶湖)

大きくならない琵琶湖の鮎。天ぷらや佃煮になり、放流用の稚鮎としても全国の川へ運ばれます。

寿司の歴史は鮎から

『今昔物語』に、すしあゆの話が二つあります。ひとつは、ひどく太った三条中納言が、医師の前で水飯を食べてみせる話。尾頭つきの大きなすしあゆを三十ほど盛り、二切れほどに食いちぎって五つ六つ。もうひとつは、酔った行商の女がすしあゆの桶にへどを吐き、慌てて手で混ぜ込んでしまう話で、すしあゆはもともとへどと見た目が似たようなもの、と締めくくられる。
都では、平安時代より前から鮎のなれ寿司は非常に上等なもので、公卿クラスの食べものでした。一方、鮎の産地では冬の保存食であり、祭りや祝いの席でも食べられた。927年に完成した『延喜式』にも、献納品としてたびたび登場します。
中国で「鮎」と書くと、ナマズのこと。それが日本では鮎を指すようになりました。きっかけは『日本書紀』。神功皇后が鮎を釣って戦いの勝ちを占った話です。

江戸前の姿づけ、片身づけ

江戸前寿司にも鮎の伝統の技があります。小ぶりの天然鮎を開いて酢で締め、シャリを詰めてぎゅっと握る「姿づけ」。東京で修業した職人も、修業時代につけたことがある仕事です。
三枚に下ろし、まな板を斜めにして塩を振り、小一時間置いてから酢に漬ける。「明日来な」。翌日、酢がなじんだ片身を握ると、皮目に鮎の風味、身には川魚らしい好ましい香り。「実にうまい」「天然アユが安ければね」。そんなやりとりが出る一かんです。
徳島徳島県の郷土寿司は、とにかく姿寿司が多い。夏に作るのが鮎の姿寿司で、釣れたばかりの鮎を開いて塩をして寝かせ、甘酢に漬けて、シャリを詰めます。勝浦川の天然鮎で作ったものは臭みがまったくなく、鮎独特の香りが立つ。天然ものを使うところは、県内でも少なくなりました。

いまも漬けている土地

岐阜市で作られた鮎のなれ寿司
岐阜市で作られた鮎のなれ寿司写真: 大野 一将(CC0)
岐阜岐阜の子持ち鮎のなれ寿司は、秋口の子持ち鮎を塩漬けにして翌年5月まで寝かせ、ご飯と漬け直したもの。乳酸発酵が強く、匂いも強いぶん、酸味とうま味が豊か。ご飯にのせてお茶漬けにしたり、椀に入れて熱湯を注いで吸いものにしたりもします。
滋賀滋賀県は、なれ寿司の宝庫。湖産鮎のなれ寿司は、フナに次いでよく作られます。ふなずしより乳酸発酵が浅く、食べやすい。長浜市などの「こけらずし」は、塩漬けの鮎を洗い、しょうがとにんじんのせん切り、ご飯と麹を重ねて1か月ほど漬けたもの。ほんのり甘酸っぱくて、なれ寿司より万人向けの味です。
栃木栃木県宇都宮市今里では、秋の梵天祭に「くされずし」を食べます。夏に鬼怒川でとった鮎を塩漬けにしておき、祭りの前にせん切りの大根と一緒にご飯と漬け直したなれ寿司。発酵は浅めで、大根の食感がいい。
兵庫兵庫県香美町を流れる矢田川のあたりでも、天然鮎を塩漬けにし、ご飯と桶に漬けて1か月発酵させるなれ寿司が、冬の保存食や祝いの席のために作られてきました。発酵が浅いものは少しあぶると、温かみの残ったのがうまい。風邪気味の朝には、なれ寿司の茶漬け。

一年で生き切る魚

「年魚」とも書くとおり、寿命はほぼ1年。秋に川の中流で生まれるとすぐ海へ下り、春に川を上ってくる。海では小エビなどを食べ、川に落ち着くと石についた藻を食べるようになります。そのための櫛のような歯まで持っている。産卵を終えた親は死にますが、一部は生き残るものもいます。
栄養の少ない藻を確保するため、鮎は縄張りを持ち、入ってきた鮎を攻撃します。この習性を逆手にとったのが「友釣り」。鮎からはスイカの香りがする。香りも味も、とれる川によって違います。
「あゆ」の元は「あひ」。「あ」は愛称、「ひ」は魚を表す語尾で、愛らしく味のよい魚という意味です。神前に贄として供えた「あえ」から、秋に川を下る「あゆる(落ちる)」から、という見方もあります。
1913年、魚類学者の石川千代松が、大きくならない琵琶湖の鮎を東京の多摩川に放し、大きく育てることに成功しました。ここから全国の川への湖産鮎の放流が始まります。ダムや開発で海から上れる鮎が減ったいま、放流は欠かせない。
鮎は、ひと夏で呼び名が変わる魚です。禁漁が明ける6月ごろ、まだ縄張りを持たない8〜15cmの小ぶりなものが「若鮎」。香りが高く、脂ものっています。秋、産卵を控えて川を下るのが「落ち鮎」で、秋の季語。黒い婚姻色が出た雄は「サビアユ」、まれに年を越して生き残ったものは「フルセ」と呼ばれます。
子持ちの落ち鮎が手に入ったら、卵のぷちぷちを味わいたい。甘露煮にするか、塩焼きにしてから研いだ米にのせ、昆布だしと醤油少々で炊き込んで鮎めしに。炊き上がったら身をほぐして混ぜます。

鵜飼と火振り

岐阜長良川をはじめとする鵜飼は、中国から入ってきた漁法で、日本では古事記や日本書紀のころから文献に出てきます。芭蕉の句「おもしろうてやがてかなしき鵜舟かな」。岐阜の中央卸売市場では、漁期に「あゆ競り」も行われます。
高知高知県の四万十川や仁淀川の流域には「火振り漁」があります。夜、淵に集まった鮎を刺し網で囲み、薪の火を振って網へ追い出す漁です。
夏目漱石の『三四郎』で、京都から名古屋へ向かう汽車の中、三四郎は鮎の煮びたしの頭をくわえたまま、女の後ろ姿を見送っています。

骨を残すのは素人

鮎の塩焼き
鮎の塩焼き写真: Pen-dako(CC BY-SA 3.0)
家で楽しむなら、基本は塩焼き。天然なら塩を振ってすぐ焼いていい。6月から7月上旬の鮎は骨も皮も柔らかく、丸ごとかぶりつける。栃木県那珂川町では「骨を残して食うのは素人だ」と言うほどです。
養殖の鮎なら、ムニエルが向きます。さっと洗って塩こしょうし、小麦粉をまぶしてじっくりソテー。淡水魚の臭みはなく、脂ののりがいいほうに働きます。
内臓の塩辛が「うるか」。内臓だけの「にがうるか(渋うるか)」は苦みが強いぶん、うま味とかすかな甘みがある。卵巣や白子の「子うるか」は苦みが弱く、食べやすい。少しずつつまむものです。

値段

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市場

  • 天然鮎(市場)6〜7月が高く、8月に値を下げてもなお非常に高価(年の記載なし)
  • 養殖鮎(市場)やや高値(年の記載なし)

『江戸前の旬』では

川魚のアユの寿司は、ありか、なしか。132巻で、その疑問を持った旬と弟子の和彦は、柳寿司の常連たちと、アユの産地として知られる栃木県那須烏山市へ向かいます。120巻では、梅雨から初夏の寿司ダネの一つとして稚アユが出てきます。

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